『結晶世界』/J.G.バラード
『結晶世界』【古書】
J.G.バラード:著/中村保男:訳/
東京創元社/2010年34刷/文庫版
¥550-(税込)
前回に続いてJ.G.バラードの小説を紹介します。
「日中は、奇怪な形になった鳥が石化した森の中を飛びかい、結晶化した河のほとりには、宝石をちりばめたような鰐が山椒魚の紋章のようにきらめいた。夜になると、光り輝く人間が木立のあいだを走りまわり、その腕は金色の車のよう、頭は妖怪めいた冠のようだった。......」
冒頭に置かれた作中からの引用文が、もういきなりバラードワールド(バラードランドと呼ばれる独特の世界観)に引き込みます。
舞台の始まりはアフリカの河口港に主人公サンダーズが乗った船が着くところ。
まだ朝の10時だというのに異様に暗く、川面の水は黒い。桟橋にはフランス軍の舟艇がいるだけなのに、サンダーズを乗せた旅客船は河口で2時間も待たされる。すでになにやら不穏な雰囲気。
一緒に乗って来た客の中には、自分の教区に戻る孤独癖のあるバルザス神父、スーツケースに銃を忍ばせた白服のベントレス(白い服ときくともう、『沈んだ世界』のストラングマンを思い出して警戒しちゃいますよね)が乗り合わせています。彼らもこの物語の重要な一部です。
船を待たせて厳しい検閲をしている理由は曖昧で、どうも森で新しい植物の病気がみつかったらしいとのこと。
ようやく下船して着いた町の中も人気がなく、ひっそりとしています。ホテル・ヨーロッパのフロントで的を得ない会話を交わしていたサンダーズは、スザンヌ・クレアにそっくりな若いフランス女性ルイーズを見かけます。サンダーズがこの地に来た理由、彼はモント・ロイアルの森の中にある病院に夫とふたりで移ったスザンヌを追いかけて来たのでした。サンダーズは癩病院の医師です。ルイーズはフランスのジャーナリストで、モント・ロイアルに取材に向かったカメラマンの帰りを待っているのでした。
ふたりのカフェでの会話の中に、今日が春分であることが出て来ます。
第1章の章題は「春分」。物語の前半を象徴するものとして明と暗の対立がありそうです。
「夜と昼といえば、暗さと明るさという区別はここマタール港のいたるところで自分につきまとっているようだ。ベントレスの白服とバルザス神父の黒い僧服という対比のうちにも、ひっこんだところが暗い影になっているあの真白なアーケードにも、さらに、心の中にあるスザンヌ・クレアの面影にさえも、明暗が対立している。スザンヌの明にたいして、この若いルイーズは暗を成していて、あけすけな目つきでテーブルごしに自分を見つめているのだ。」
ルイーズが言います。「いまじゃ、黒白どっちつかずの灰色のものも、おぼろにかすんでいるものも、まったくないんです」
物語の骨格が見えてくる印象的な会話ですが、個人的には「ひっこんだところが暗い影になっているあの真白なアーケード」が建つ港町の風景が、デ・キリコの絵画みたいで好きです。
(第2章の「白いホテル」はデルヴォーっぽいなと思ってます)
翌日、河口に死体があがります。その死体の右腕は半透明の水晶体になっていました。
不穏な導入から役者の揃い方(まだこれで半分ちょいくらいなんですが)まで、精巧な幾何学模様のようにすべてがきれいに配置されています。
様々に入り交じりながらも溶け合わない万華鏡の中の宝石たちが、かちりと音を立てて展開していくように、多様な人物相関図がどんどん拡がります。
訳者の中村保男はあとがきで「この作品を一語で称せと言われたら、わたしは一種の「デカダンス小説」と呼びたい。」といっています。
「健康な凡人」(中村氏が書いてるんですよ)から見たら狂気の沙汰としか思えない、メロドラマとデカダンスが後半にかけて緻密に描かれていきます。
それぞれの妄執を抱いて彼らはモント・ロイアルの森を目指します。
マタール河を船で遡行するサンダーズたちは、上流で軍隊に合流します。
そこでラデック大尉から、モント・ロイアルの状況を(なんだか文学的に)きかされます。
町を囲む森を中心に結晶化がすすみ、樹や草花だけでなく、鳥や鰐、無機物も川の水さえも光り輝く鉱物となり、森は氷(氷も定義的には鉱物らしいです!)の冷気に凍えています。
「つまり、あらゆる物質の根元をなしている、原子よりもこまかな本体が実際に増殖したもの、と考えているわけです。同一物体の、ずれてはいるがどれも似たような映像が、いくつも連続して、プリズムをとおして屈折によって生じているらしいんです。もっとも、その場合、時間の要素が光の役割の代用を果たしているようなんですがね」」
イメージできるようなできないようなもどかしいところです。セリフの冒頭は結晶化をハッブル現象に例えてもいるんですが、もうその先を考えるのはやめました。
私の頭に浮かんだのはマルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体、No2」でした。
が、「無意識の到来──シュールレアリスム」の中でバラードが生理学者E.J.マーレイの多重露出写真(学術的な目的で撮られた写真ですが、十分詩的で美しく見えます)のことを書いてましたので、こちらがアイデアソースになっているのかなと思いました。わかりませんけど。
「たとえば、生理学者E.J.マーレイのクロノグラム、これは多重露出写真で、『連続する砂丘状の塊として表現された、一人の人間の移動する姿』のように、時間の次元が知覚しうるものとして提示されている。」(『ユリイカ 特集J.G.バラード 終末の感覚』)
第二章「光り輝く人間」は、サンダーズが癩病院の院長に書き送った手紙からはじまります。ここがこの小説のSF要素を凝縮した部分になっていて、モント・ロイアルにたどり着いて2ヶ月を経たサンダーズによる、世界が結晶化していく事象の科学的な説明が記されています。
「この異常な変化現象を惹き起こしている張本人は、時間なのです。(略)宇宙内に反物質があることが最近発見されましたが、反物質というからには、必然的に、この陰電荷の時空連続体の第四面としての反時間という概念がそこに含まれることになります。(略)宇宙内に反銀河系が誕生したことによって生じたこの類の乱れた流出こそ、われわれ自身の太陽系の物質が利用できる時間ストックの涸渇をもたらしたものなのです。」
長い手紙の一部を抜粋しても何も伝わらないかもしれませんので,是非本文を読んでみてほしいです。私は何度も読み返しているのですが、わかるような...わからないような...。かすかに私のゴーストが「TENET.....?」とささやくのが聴こえます.....。
もうすっかりこの結晶化の運命を受け入れている2か月後のサンダーズの精神が、この物語の結晶の核なのかもしれません。そう感じるほど、小説のちょうど真ん中あたりにこの手紙が位置しています。(もう、全部、完璧だなって思います。この小説)
あと「時間が涸渇する」というイメージは、同時期の短編「時間の庭」でもよりシンプルな形で描かれています。勝手に脳内ショートフィルムが上映されてしまうヴィジョナリーな一編ですので、こちらも是非。
「時間」はバラード初期の作品ではさまざまに取り扱われているので、これから注目して読んでみたいと思ってます。
暑い夏の昼下がりにディアボロマントと一緒にどうぞ。