bullockbooksのブログ

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『氷』『アサイラム・ピース』/アンナ・カヴァン

『氷』【古書】

アンナ・カヴァン:著/山田和子:訳/

筑摩書房/2015年3刷/文庫版

¥450-(税込)

 

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  前回はバラードの『結晶世界』でしたが、あの本を読んでいるとまっさきに思い出すのがこちら。アンナ・カヴァン『氷』です。

 序文をSF作家のクリストファー・プリーストが書いているのですが、そこではバラードもカヴァンも”スリップ・ストリーム”というカテゴリーに入れられています。

その辺りの話はぜひプリーストの序文で。

 

 氷がすべてを飲み込み、世界が終わりをむかえていく破滅の物語。

SF的な論理的整合性はなく、むしろ観念的な物語のように見えます。

 

 主人公は”私”としかでてこないですが、男で、諜報部員のような仕事をしているようです。かつて夢中になった少女をもとめて、少女とその夫が住む館に向かいます。真夜中の道をヘッドライトの灯りを頼りに突き進むと、突然の雪景色の中に銀白の髪の少女が現れます。

 

 このあたりから物語は無重力の異次元空間に迷い込んだように、唐突な切り替わりを繰り返して、少女と二人の男の追走劇を繰り広げます。

 夫のもとを離れ行方をくらました少女を追って海を渡った”私”は、寂れた小国で長官と呼ばれる男と共にいる少女を見つけます。

 二人は《高い館》におり、そこへ向かうところはカフカの『城』を思わせます。

 

(※これは、未読の方は知らずに読んだ方がいいと思います!!でもいいたい。。。)

 氷の嵐を逃れ、寂れた小国から船で脱出するシーンがありますが、船に乗った”私”が港を振り向くと、そこが陽光あふれる近代的な都市になり、活気に輝いているのが見えます。”私”はその光景にショックをうけますが、あまりのことに読んでいる私もショックでした。ものすごく鮮やかなシーンで、胸がつまります.....

 

「これこそが現実であり、他の出来事のほうが夢なのかもしれないと思い至った時の、体が揺さぶられるような覚醒感。突如、これまでの日々が非現実なものとしか思えなくなった。」

 

 追っても追ってもすりぬけてゆく少女と、どこにいても迫ってくる氷の壁。この不毛さは自分のいるところにだけ在る、自分がいるから在るという絶望感。涙が出そうです。

 

 『氷』はアンナ・カヴァンの最後の小説です。この小説を出版した翌年の1968年にロンドンの自宅で亡くなっているのが発見されました。死因は心臓発作ということです。

 2度目の離婚をし、WW2で一人息子を失ってから一度ならず自殺を試み、精神病院にも2度入っています。また、脊椎の病のためにヘロインを常用するようになります。

 真っ白い雪の描写などは彼女のヘロイン使用の体験が投影されているのではと、推察されてもいます。たしかにそんなふうに読むこともできます。彼女の体験がもとになっているのなら、どれほどの寂寥感のなかで日々を生きていたのかと考えてしまいます。

 ですが同時に、カヴァンは非常にアクティブで、ビルマ、オーストラリア、アメリカ、南アフリカなど世界中を旅して周り、室内装飾家、ブルドックのブリーダーなど、さまざまな職業もこなしています。

 冷酷な両親に育てられ、情緒不安定な幼少期を過ごしたようです。バイオグラフィを見ると『氷』はそのまま自身の映し絵だったのかなと思われてきます。とても聡明で活動的な女性像と、神経の細い少女像が二重写になっているようです。

 

「少女は強烈な寒さに耐えられず、ずっと震え続けて、ベネチアンガラスのように砕けていった。その崩壊の過程を実際に見て取ることができた。少女は次第に痩せ細り、さらに白く、さらに透明に、亡霊のようになっていた。この変容はなんとも興味深いものだった。少女は完全にエッセンスだけの存在となり、動くことすらなくなった。」

 

 前触れなく切り替わる場面や、誰のものか不明な視点が行き当たりばったりに書かれているように見えて、どの文章も破綻がなくとても理知的です。明晰な意識のままずっと狂おしい孤独感のなかにいたカヴァンを想像して、悲しくなります。

 破滅的な物語なんですが、どこまでも透明で不思議と暗さや病的なものを感じないのもカヴァン作品の特徴かなと思います。

 

 アンナ・カヴァンを日本に紹介してくれた、訳者山田和子のあとがきも必読ですが、さらに、川上弘美による解説もついていて嬉しい一冊です。

 

 寒い冬にはホットココアとどうぞ。

暑い夏に読むのもおすすめです。カルピスソーダみたいな、甘くて優しい飲み物とどうぞ。

 

 カヴァンがアンナ・カヴァン名義になって最初に刊行された1940年の短編集『アサイラム・ピース』もあります。

 メンタル・ブレークダウンに陥り、スイスのサナトリウムでひと夏を過ごした後に、それまでのファーガソン名義からアンナ・カヴァンとして全く異なるものを書き始めた最初の作品です。『氷』に結集されていく壮絶な孤独感はここでも全編にきらめいています。

  個人的には「母斑」と「変容する家」が激推しです。奇妙さ不気味さと静けさみたいなものが合わさって、特に「母斑」の唐突な展開が素敵です。「変容する家」はコルタサルの「奪われた屋敷」(1951年刊行の短編集に収録なので、カヴァンの作品の方が先なのかもしれませんが)のようであり、また、SFとしても読める感じでもあります。

 アンナ・カヴァンは一定の読者にとっては、時代と関係なく響くものがある作家だと思います。いつになっても古びるということはない、宝石みたいな作家ですね。

 

アサイラム・ピース』【古書】

アンナ・カヴァン:著/山田和子:訳/

国書刊行会/2013年初版/文庫版

¥1,150-(税込)

 

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